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アエラ後半

まずいものを見た

白石が劇団中を震撼させたのは、六九年春のことである。鈴木の実験的作品『劇的なるものをめぐつて1』の稽古中、 白石の身体が突然壊れたように見えた。目が寄り、口から涎が流れだし、足の甲で立っているではないか。 「まずいものを見た」と男たちは全員目を伏せた。深尾は「檻の中に閉じ込めて人さまにさらしちゃいけないものだ」と、 ひどく動揺した。鈴木だけは違っていた。義太夫の師匠を祖父に持つ鈴木には白石の形相は馴染みのあるものだった。

初演を観た劇評家の扇田昭彦が「濡れたものに襲われるようで生理的に怖かった」と評するこの時の演技も、その後の演技も、 決して偶発的なものではない。

『金色夜叉』の狂気のお宮という役を与えられてからは、役作りだけを考えてきた。短いシーンだが、白石は関節の柔らか さなど自分の肉体の特徴を全部使い、身体に馴染む日舞の動きをとりいれ、鈴木が絶対却下しないと思えるところまで狂気の女を練り上げた

「恥は捨てました。今まで見たことのないようなものを舞台に乗せなきゃ、すべてを捨ててやっている甲斐がなかった。鈴木さんの 感性に向けてやったんです」

一方の鈴木は、「白石の持っているものをきちんと提示すれば新劇を批判できる」と直観し、「新しい世界が創れる」と興奮した。 間もなく近代演劇史上に一線を画した伝説の舞台『劇的なるものをめぐつて2』の稽古が始まることになる。これは狂女が次々変身して、 古今東西の名作を演じていくという構成で「白石加代子ショウ」の副題がついていた。何カ月にも及ぶ激しい稽古は鈴木と白石の一騎討ちで、 夜明けに及ぶこともまれではなかった。鈴木から「区役所に帰れ」と罵詈雑言をあびせられ、蹴られ、椅子を投げられても稽古をやめない白石に、 高橋は「到底真似できない」と圧倒された。白石が一番の財産だと言う「横隔膜の奥に息を溜める」呼吸法を体得したのはこの時だ。

鈴木はこう回想する。「芝居を通して世の中を変えると言っていた全学連の闘士たちより、よほど白石の方がラディカルだった。欲望とエネルギーがずば抜けていた。あの時、私と白石が最も深く目的意識を共有したということです。大変幸福な時代でした」

私は演劇と恋愛している

『劇2』は七〇年に初演された。演劇界の衝撃は激しく、論壇はまっ二つに割れた。鈴木は軽蔑の対象になりかねない白石の演技を理論で裏付けるため膨大な文を書き、多くの知識人が絶賛と意味と承認を与えた。鈴木・白石はこの作品で一気に世界前衛劇の最前線に躍り出た。以降、『トロイアの女』など白石を中心に据えた鈴木の舞台は万雷の拍手で迎えられる。が、内部は退団者が相次ぎ、鈴木の右腕で演出も手掛けていた深尾は八三年に劇団を去った。その時、深尾は白石に退団の理由を「見合いの相手を間違えたような」と告げ、彼女は「私は演劇と恋愛している」と答えている。

鈴木と白石の共同作業は二十三年で終わった。劇団の活動の拠点が富山の過疎村利賀村に移り、改名。鈴木は地方自治体と組み、劇場を建てはじめた。その頃から「沸き立つょうな楽しさ」がなくなっていることに白石は気づいた。舞台では満たされていても、舞台を降りると心の中に風が吹いていた。周囲には、白石が理不尽に扱われているように見え、鈴木にも白石が獅子身中の虫になりつつあった。

八八年、長年課題だったコメディーを自分のものにできた頃、深尾と結婚した。「女郎を足抜けさせるようなもので結婚は無理だ」としり込みする深尾を、説き伏せたのだ。父のように穏やかな深尾に支えられ、八九年SCOTを退団。劇団の正式発表はなかった。

鈴木は共同作業の終焉は理想を共有できなくなったためだと語る。「政治家になったと批判されたが、私の演劇を通して日本を変えたいという理想は変わっていない。地方に劇場を建てるのも、演劇を日本に根づかせ第二、第三の白石を発見するためだ。でも、結婚した白石が普通の演劇人になるのも無理はない」

バントのできない四番バッター

退団直後、出演依頼は少なかった。商業演劇の人間は神話的な女優の使い方がわからなかったのだが、白石自身も大きな不安の中にいた。フリー一作目の『メアリー・ステュアート』を企画した笹部の目には、白石はバントのできない四番バッターのように映った

「言葉や肉体に頼るから演技がリアルにならない。悪いフォームでもホームラン打ってたから、役に動かされるんじゃなく役を動かしてしまっていた」 だが、マネジャーの長峯英子には、白石が慣れない世界で我慢しながら懸命にやっていることが痛いほどにわかった。何ょり演出家の意見に一心に耳を傾けることに驚かされ、プライドを殺しながら未知のジャンルにゼロから取りかかる姿勢には脱帽させられた。

深尾にもこの時期は苦しかった。自分が拍手を送る妻の演技が、演出家からもスタッフからも「それはSCOTの呼吸だ」と否定され、かつての仲間からは反発された。在団中は鈴木が怖くて面と向かって批判することのなかった評論家が、待っていたかのように叩き始めた。四面楚歌の中で、妻が吐き出す不平不満を受け止め、前歴のある女優が独りで歩く大変さを痛感して「なんとか守ってやりたい」と願うばかりだった。「僕には加代子のやっていることは異端ではなく、オーソドキシーな演技だという気持ちがある」

あんな名優、そうはいません

状況が好転したのは、九二年に『百物語』が岩波ホールで始まってからだ。二百席のチケットはなかなか売れなかったが、演出家の鴨下信一との出会いがあった。鴨下は早稲小時代の白石を観ていたが、緊張度の高い様式的な演技をやってきて、他の才能が圧殺されているのではないかと危ぶんでいた。実際、小さな声で台詞を言えなかったが、可塑性があり吸収カがあるから、知的でリアルな演技も、喜劇もできるはずだと睨んだ。

「その通り、今では情が出てきた。格調の高さと下世話なところ、芸術と興行の世界が交じり合っているところがいい。あんな名優、そうはいません」

鴨下は「持っているものを全部使おう」と言ってくれた。その言葉で白石は肩の力が抜けた。もともとやりたいようにしかできない役者だった。鈴木が、白石の演技をもとに鈴木メソッドなる肉体訓練法を開発したが、白石はこの訓練に関しては劇団一の劣等生だった。初めのうちは、腰を落とし、足を踏みならすというメソッドに忠実でいられるのだが、十分もたつと身体が自然にはしゃぎだし、メソッドから逸脱してしまうのだ。今でもコンセントを抜く動作など日常の演技は苦手で、綱引きでもやっているかに見える。

「役を魅力的に見せることには全精力を傾けます。私がやるからには他の人と違うところに光を当てたいと思う。でも、つまんないと思うことはやれない」

もう私には必要のない人です

劇評家の松岡和子は、白石の退団後、SCOTの舞台を観なくなったが、白石の舞台には欠かさず足を運ぶ。様式的なものから日常的なものまで、力強さを保持しながら演技が広がっていることに驚嘆する。「いつも同時代に生きて生で観られる幸せを感じる。鈴木さんも彼女の不在の大きさを感じているのでは」。鈴木に白石ともう一度やりたいかと問うと、「私の理念に賛同してくれるなら今でもいいものができる」と返ってきた。白石に同じ質問をすると「私の最も怖いところを見せてあげましょうか」と断り、「もう私には必要のない人です」と赤い唇の端をキュツとあげた。

ビルメンテナンスの会社を経営している深尾だが、東京で上演される限り妻の夜の舞台は必ず観る。四十日あれば四十回観る。一公演中に三回か四回、劇場全体が幸福になれる日がある。身体中に血が駆けめぐり、エクスタシーを感じる。その瞬間を見逃したくない。深尾にとって、白石は「なしえなかった夢や志を実現してくれる我々のプライド」である。舞台の後は家で妻の身体を揉みほぐしてやる。声を使ったせいで共鳴する妻の背中に触れながら、「女優白石加代子に生涯つきあっていこう」と思うのだ。「これからも彼女が演劇的話題の中心でい続けることが僕の野心です」

演劇を選び、鈴木と出会い、深尾を手にいれたことを、白石は「よく宝クジを当てるの」と表現した。

SCOTを退団して十年が過ぎた。舞台は真実であり、神聖な場所だという思いは変わらないが、観客と交流する快感を覚え、日々舞台で新しく生きる悦びをますます深く感じるようになった。前衛劇という枠を自ら外し、深尾という決して裏切らない同志を得て、大空に自由に羽ばたいている今が一番幸せだ。 「ただね、演劇というものが社会性を失っているでしょ。私も社会的な存在じゃなくなってしまった。それでも演劇を通して何とかお役に立ちたいと思うの」 白石は大きな演劇賞とは無縁でここまできた。だが、観ることの歓びを知る人々はこの女優を求めてやまない。白石加代子の第二次黄金期が始まっている。

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