トップ>記事>アエラ前半

アエラ前半

今ある自分たちの常識的な感覚が揺るがされた

七月の午後。渋谷のシアターコクーンでは『身毒丸』が千秋楽を迎えていた。客席は総立ちで、幕はなかなか降りなかった。身毒丸役の藤原竜也に手をとられたまま舞台中央で膝を折り、胸に手をおいておじぎを繰り返す妻の姿を深尾誼は、客席の後方からじっと見つめていた。ようやく明るくなった客席から聞こえてきたのは、「鳥肌がたった」という呟きと興奮のため息だった。

『身毒丸』の全国公演は、連日立ち見が出るほどの人気だった。光と闇の交錯。異形の者たち。ちゃぶ台と仏壇のある家。小学唱歌と演歌。天から降り注ぐティッシュペーパーと血のような花。どこか懐かしさを感じさせる異空間の中で、物語はスピーディーに展開する。この作品世界を支えていたのが、身毒丸と愛し合う継母撫子の役を演じている白石加代子である。多彩音色の緩急自在な台詞、重たくも軽くもなる動き、瞬時に変わる姿形は、見るものの視線を捉えて離さず、客席までをも圧倒的な存在感で占拠していた。 『身毒丸』(1998, シアターコクーン) 演出の蜷川幸雄は、身体の使い方が普通の人よりも何センチか低かったり、高かったり、集中力がぐんぐん内面に向かう白石の演技に「今ある自分たちの常識的な感覚が揺るがされた」と述べている。大阪の近鉄劇場の松原利己プロデューサーは、「藤原君目当ての若い人も、白石さんを観て今まで見たこともないものを見たと興奮していた」と証言する。

私のことなんか一部の人しか知らないよ、うんと嫌いな人もいるし

白石加代子、五十六歳。元早稲田小劇場(後にSCOTと改杯)の看板女優であり、「今世紀最高の舞台女優の一人」「出雲の阿国の再来」と世界の舞台人が賛辞を送る。その演技は日本演劇史上最も多くの批評の対象になったほど完全にオリジナルなものである。フリーとなっている現在は「舞台女優一本でやっていけるのは加代子だけ」と三十年来の友人、吉行和子が言う通り、ここ数年、白石の出演する舞台の切符はすべて完売、東京だけで一万人を動員する。演劇が沈滞する中で、テレビで顔を売っているわけでもない役者が個人で客を呼べるのは希有なことだ。白石の所属するメジャーリーグの笹部博司は、「白石さんがいると座組みが簡単にできる」と認める。役者にとっては白石と共演できることがステータスにもなっている。

しかし、本人の自己評価は低い。「私のことなんか一部の人しか知らないよ、うんと嫌いな人もいるし」

波うつ黒い髪。真っ赤に形よく塗られた唇。目が光る。舞台の素晴らしい口跡を彷佛させる口調。普段の白石と舞台の彼女の間には落差がありながら、話しぶりは演劇的で喋るだけで舞台を観ているような気分になる。喫茶店で突然立ち上がり「やってみようか」と特有の脚の使い方を見せてくれる。健啖家で、夫の深尾が一緒だった時は、彼が手をつけないご飯を「食べないの?」と三度たずねてから「加代ちゃんが食べてあげる」とペロリと平らげてしまった。笹部は白石を、映画『激突!』の正体不明のトレーラーにたとえたが、むしろ眩しく輝く生金体がデーンとそこにいた。

「どんな時でも自分を消しちゃうのは嫌です。だから演劇を選んだんです。演劇の神様に魂を売っちゃったところが私にはあって、今も全速力で走ってる」

父が生きていたら姉は女優にならなかった

子供時代の白石加代子  一九四一年、真珠湾攻撃の翌日に東京・麻布で生まれた。逓信省の高級技官だった父仁志郎と母フサの最初の子どもで、慈しんで育てられた。四年後に妹が生まれるが、幸せな境遇は四七年に父が結核で亡くなった時から一変する。一カ月後に弟が誕生。お嬢様育ちのフサは担ぎ屋をやり、屋台を引いて、売れるものは売り尽くしたが、母子家庭の貧しさは言語に絶した。長女は「父親がわりになる」と七輪でご飯を炊き、妹弟の世話をした。傘もなく、ポロポロの服を着ている惨めさに耐えられない時は、温かな父をひたすら思った。

苦しい生活の中で一筋の光を見つけたのは麻布小三年の時だ。学校に児童劇団がやってきたのだ。舞台の上の世界は現実を忘れさせてくれた。それからは友達を集め、芝居ごっこを楽しむようになった。フサは幼い頃から道端で踊りだしてしまうような長女を案じ、落ちついてくれるならと無理して日舞を習わせた。母はよく哀しい演歌を口ずさんでいた。日本的な所作と韻を踏んだ言葉は、いつか少女の身体に棲み着いた。

小学校高学年の頃に幽閉されたお姫様を助けるという遊びが流行った。お姫様役をやりたくてもあてがわれるのは鬼婆役で、友達は白石の鬼婆を見て逃げまどった。その甲斐あってか、中学では学年選抜の芝居で主役の一つ目小僧の娘役に選ばれた。誰からも大事にされたことのない学校生活だったが、主役になるとみんなが隣に座りたがった。芝居に接している限りとても幸せなんだと、中学一年のその時に将来を決めたのだ。妹の山内千鶴子は断言する。「父が生きていたら姉は女優にならなかった」

辞表を出してきましたので入れて下さい

三年間を、家族から離れて父の両親が住む五島列島で過ごした。高枚三年で東京に戻り、東京都の公務員試験を受けた。五九年、麻布区役所の課税係に配属され、毎日兆の位まで算盤をはじくことになる。家のために進学を諦めた娘が不憫だと母のフサは涙を浮かべたが、女優になるつもりの白石に受験する気はなく、就職も目的達成の方便でしかなかった。役所時代の姉が生理休暇まで使って劇場に通っていたことを、弟の光は覚えている。身体中からエネルギーが溢れ出る市原悦子に夢中だったのだ。二十二歳で芝区役所に異動してからは夜間の東宝芸能学校に通い、日舞を習い、来るべき日を前に母に向かって宣言した。「光が高校を卒業したら芝居をやりたい」。母は反対しなかった。

俳優座養成所を落ちた白石はいくつもの劇団に足を運んだが、早稲小の稽古を見てたちまち惹きこまれた。特に的確な言葉と比喩でダメ出しをする鈴木忠志の演出に、初めて演出家の存在意義を理解した。鈴木の発する一言一言に「私に言ってよ」と身悶えした。半年間稽古場に日参した後、二十五歳の三月に役所をやめた。その足で劇団に向かい、鈴木に「辞表を出してきましたので入れて下さい」と迫った。

あんな奴どうするんだ

当時の早稲小は、唐十郎の状況劇場等と並び新劇を批判して台頭したアングラ演劇の中心的存在だった。日大のバリケードから劇団に通っていた高橋美智子には、中に一人普通の女が交じっていることが不思議だった。鈴木に心酔して創立に加わった深尾誼は、稽古場で煙草を吹かし、ケラケラと笑う女を「間違って入ってきた」新劇ミーハーだと見ていた。鈴木は「あんな奴どうするんだ」と周囲に洩らしていた。

入団直後の白石は下手な役者でしかなかった。台詞はつっかえ、動きはぎこちなく、空々しくて見ていられなかった。だが、鈴木は、アトリエ公演の『舌切雀』でお婆さんの役を与えてくれた。役がつくのはえも言われぬ快感だった。ここが見せ場だと、ペンチで雀の舌を引き抜いた後に思わずケッケッケと笑った。その一瞬で鈴木の白石を見る日が変わった。

退職金の三十五万円も貯金もたちまち底をつき、おにぎり屋をやっている母の金庫や財布から電車賃を失敬する毎日だったが、白石は「生涯初めての愉しみ」に足が地に着かなかった。母の乳癌が発見され、妹と弟に「目を覚まして!」となじられた時も、「もう私は家のためには何もしない」と突っぱねた。

後編へ

Copyright 白石加代子事務所. All rights reserved.無断転載・転用を禁じます。